Roots of Japan

知ればもっと好きになる。神秘の国、日本。

日本のルーツをわかりやすく解説。日本を、もっと深くもっと身近に感じてください。
今すぐ、奥深い日本文化の旅に出かけましょう。

茶道

世界にはお茶が浸透している国がありますよね。食事時には欠かさず飲む!という人も多いのではないでしょうか?日本の茶道は「さどう」、「ちゃどう」と読みます。きちんと習うには茶道教室に通い、学ぶことが必要です。…ということは茶道を気軽に楽しむことは出来ないのでしょうか?そんなことはありません!最近ではお店などで楽しく、美味しく体験できるのですが…これは最後にご紹介したいと思います!

そもそも茶道とはなんでしょうか?
伝統的な様式にのっとって客人に抹茶をふるまう事。茶を入れて楽しむだけではなく、生きていく上での目的や考え方、宗教…そして茶道具や茶室に飾る美術品やお香など広い分野にまたがる総合芸術として発展しました。また季節に合わせて和菓子や抹茶碗、花など選ぶことで季節の感じることもできるのです。

日本以外でも、中国では客人を茶でもてなす「茶宴」「茶芸」、韓国にも茶を飲む儀式として「茶礼(タレ)」があるほど茶は歴史的・文化的に浸透しているのです。では日本に茶がやってきたのはいつでしょうか?

804年、遣唐使として唐へ渡っていた空海と最澄は色々なものを持ち帰りました。その中に茶があったと考えられているのです。当時の中国茶は現代の烏龍茶に似た微発酵茶で、形状はだんご状だったといわれています。日本では茶色という色が存在していますが、この茶の色こそ現代日本人のいうところの茶色なのです。この頃は嗜好品というより、必要量を煎じて飲むという薬としての側面が大きかったのでは?と考えられています。特に新茶(その年、最初の新芽を摘み採って作ったお茶。立春(2月4日頃)から数えて88日目の5月2日頃。うるう年は5月1日)を飲むと1年間、無病息災で過ごせると伝えられているほど!春の全ての気が満ちていて、生命力が詰まった長寿のお茶とも言われているのです。是非、新茶を飲んでみて下さいね!

ここで緑茶以外のお茶も気になったので調べてみました。なんと緑茶、烏龍茶、紅茶の違いは発酵度合いの差だけ…茶葉自体は全て、学名が「カメリアシネンシス」というツバキ科の茶の樹から出来ているのです!発酵度合いによって味があんなに変わるなんて不思議ですね!このようにして日本にやってきたお茶。しかし抹茶は登場していません。それでは一体いつ頃から飲まれるようになったのでしょうか?

この抹茶、中国では「点茶法(てんちゃほう)」として10世紀頃発生したと考えられています。これが日本に伝わったとされる有力な説は1191年、日本における臨済宗(禅宗のひとつ)の開祖となる明庵栄西(みょうあん えいさい)が中国からの帰国の折に茶の種と作法を持ち帰り、それが日本に広まった…と言われています。この時代の抹茶は茶色!現在のような緑色ではなかったのです。

栄西はその後、茶とともに「喫茶養生記」という茶の製法、抹茶の製法、身体を壮健にする茶の効用などが説かれている本を源 実朝(みなもとのさねとも)に献上しました。それまで貴族や僧の間で継続的に愛好されていた茶は武士階級にも広がりを見せるのです。また、日本における曹洞宗(禅宗のひとつ)の開祖である道元(どうげん)が中国の禅寺から清規(しんぎ:禅宗の集団規則)を学び、これを基に「永平清規」を著しました。中には茶礼(されい)という茶を供する際の儀式や作法が説かれていて、現在でも京都府にある建仁寺(けんにんじ)では開祖である栄西の降誕会(毎年4月20日)の際、四頭茶礼と呼ばれる古式な喫茶儀礼が行われています。

茶礼が禅宗における飲茶の礼法であり、茶の湯の原型とされ、茶道における礼式のことも指しているのです。それから茶はどんどん広がり、闘茶という飲んだ茶の銘柄を当てる博打が流行します。また、中国の茶器である唐物がもてはやされ、大金を使って集めた唐物を使用した盛大な茶会を催すことが大流行。15世紀後半頃まで続きました。これを整えたのが村田珠光、僧であり茶人でした。

珠光は博打や飲酒を禁止し、亭主と客との精神交流を重視し、「仏法も茶の中にあり」として禅宗の思想を茶の湯に取り入れました。これが、茶の湯の一様式であり、簡素簡略の境地…すなわち「わび」の精神を重んじた「わび茶」の源流なのです。その後、わび茶は安土桃山時代(1573 - 1603)に流行し、千 利休(せんのりきゅう)が完成させました。ここで登場するのが織田信長!信長は茶道具を収集し、収集した茶道具を茶会で披露し、功績をあげた家臣に領地の代わりに茶道具を下賜していました。このサイクルこそ武士の中の茶道具に対する価値観を変えていくものだったのです。こうして、わび茶は武士階層にも広まり利休七哲(りきゅうしちてつ)と呼ばれる弟子たちを生み、更に発展していきました。

茶の湯の人口は江戸時代初期(1603 - 1709)、大名や豪商などの限られた人たちものでした。飛躍的に増加するのが江戸時代中期(1709 - 1786)、町人階級の経済が急成長したことによります。町人を主とする多くの参入者を迎え入れたのが三千家(さんせんけ)を中心とする千家系の流派だったのです。三千家とは「表千家」「裏千家」「武者小路千家」です。現代でも主な流派として有名で、日本人であれば耳にすることもあるかと思います。では何故「表・裏・武者小路」とついているのでしょう?利休の茶道を継いだ利休の曾孫が3人。表の千家、裏の千家、武者小路の千家…それぞれ受け継いだ茶室を分けるため位置を示していたのです。

そして家が3つに分かれた後、千家のルールとして「千」という名前を継ぐ人間を各家の嫡子のみとし、次男三男には名乗らせないと定めました。これにより茶道で千家といえば「表千家」「裏千家」「武者小路千家」の3家に限定されることになったのです。町人たちが参入し、門弟が増えたことで色々な制度を整え始めました。現在では伝統芸能において一般に見られる組織形態である家元制度…これは日本の芸道などを家伝として継承している家系や、その当主個人を指す言葉としても使われています。

他にも稽古方法を考案することで習い事として日本全国に広く普及していったのです。明治時代になると茶道は女子の教養科目として組み込まれるようになりました。このときのイメージが現在でも強く残っているため、茶道には「女性らしい」という印象があるようですが、それまでは「男のたしなみ」だったのです!茶道の歴史や文化は男性が主として築き上げられた文化なので、まだまだ女性の歴史は浅い…ということですね。

ここまで読んでお茶を飲んでみたい!という方。文頭であげました気軽に茶道体験できる場所をちょっとだけご紹介したいと思います。例えば茶道教室。1回3,000円や無料で体験レッスン出来たりするのです。服装は洋服でOK!!という教室もあれば、白い靴下のみ持ってきてという教室まで様々です。また茶室はそんなに大きくないので、基本的に少人数での体験になるかと思います。他にも東京都にある六義園「吹上茶屋」では抹茶と季節の上生和菓子のセットで一休みできます。

京都では淹れるところから自分で出来てしまう本格的なカフェ「一保堂茶舗 喫茶室 嘉木」さん。スタッフの方が丁寧に指導してくれるそうですよ!購入も出来るそうなので、ご自宅に帰ってからも気軽に楽しめますね。来客時にふるまっても喜ばれるかも!?このように気軽にお茶を楽しめる場所は意外と多いのです。これも茶道の家元や、各流派の方が文化を守ってくれていたおかげですね。現在でも息づく日本文化「茶道」、是非皆様の触れてみてはいかがでしょうか?

筆者の考えやまとめとなります。諸説ありますのでご了承下さい。